小野寺修二さんの『竹取』を見た。これがすごかった!
現代能楽集Ⅸ『竹取』 | 主催 | 世田谷パブリックシアター
現代能楽集というシリーズで、野田秀樹の『Diver』なんかもこのシリーズで行われているんだけど、小野寺さんの演劇は、「現代能楽」というコンセプトを実によく体現していた。
能は、ほんの小さな所作によって感情や状況を示唆し、その先にある空間に「ものごと」を出現させてしまう。今練習中の「田村」では、千手観音が放つ矢を目で追うことで、なにもない中空に「千の矢先」を出現させる。
小野寺さんはもともとパントマイムの人であり、まさになにもない空間に「ものごと」を出現させてきた。その延長にある小野寺演劇は、ダンスと演劇の中間で、そうしたなにもないところに想像させる身体的表現を行っている。天井から引っ張られた数本の紐で構成される舞台は、そのミニマムな設定が、まさに能舞台を彷彿とさせるものだった。
小野寺さんが主宰する「カンパニーデラシネラ」の映像を見ていたら、稽古映像にすごく惹かれた。物語がなくても、そこに物語が見えてくる。「能楽」的想像力とつながっていると思う。
それからもうひとつ、能楽は橋掛かりという装置を使って、彼岸と此岸の二元世界を出現させるところに特徴がある。『竹取』においては、それを、光と、それによってできる影の二元性、主人公がドッペルゲンガーのようにふたりに分裂しているかのような演出によって、二重写しの世界が生まれていた。そんなところにも、能とのつながりを感じたのかもしれない。