能「土蜘」を演じ終わったときに、今まで感じたことのないような感動が胸にこみ上げてきた。大役をやり遂げたという達成感、といっても「やってやったぞ」という感じではなく、ただただ感謝の気持ちばかりだった。
申し合わせのときに一番気になっていたのが、最後に土蜘が殺されるタイミングだった。台から降りるタイミングが早すぎ、そのうえ慌ただしく回ってしまったため、しっかりと武者たちに切られる感じがでなかったのだ。
「汝知らずや我昔。葛城山に年を経る。土蜘蛛の精魂なり。」という土蜘のセリフから感じるのは、土蜘はその存在を忘れ去られてしまったことに対する怒りを抱えているということだ。人々は簡単に過去を忘れてしまう。2011年の震災も、どんどんその記憶が風化していく。そうしたなかで「汝知らずや我昔」と唸るのは、土蜘ばかりではないだろう。
しかし、その土蜘はこの能の舞台でしっかりと討たれなければならない。土蜘の死を中途半端なものにしては物語が終わらない。我々が土蜘の恐ろしさに思いを馳せたうえで、しっかりとこの怨念に終止符を打たなければならない。思い出し、その怨念を受け止め、それを断つことで供養となるのだ。
本番では、土蜘が討たれる場面で、面をつけているのでまったく周りは見えなかったものの、確かに討たれている感触を背中で感じながら、舞った。土蜘はしっかりと討たれた。そのことの意味が、僕自身にとっても大きなものとなって心に響いた。