縄文は荒々しく、弥生は整理されているというふうに理解していると、たとえば能舞台のようにシンプルなものは、すべて弥生ということになってしまう。しかし実際に能舞台で起こっている現象は、亡霊による怨念であり、その鎮魂である。おどろおどろしいエネルギーが渦巻いている。表層的なデザインだけでは判断できないものがそこにある。
『惑星の風景』のなかで中沢新一と藤森照信がこんなことを言っている。
中沢 ええ。縄文を意識した建物や彫刻は、岡本太郎の「発見」以来さまざまありますが、正直言って僕はたいがい気に入らないんです。その理由は、縄文に「間違った観念」を持っているからです(笑)。
藤森 「ドロドロすりゃいいってもんじゃないんだよ!」という(笑)。
中沢 とりわけ建築における縄文コンセプトには共感できないんだなあ。日本人のさっぱりしてすんなりして、機能性と自然がうまく合体したものは弥生だというんだけれども、そんなことはなくて、縄文時代の人間だって、形の感覚においても生活の様式においても、今の日本人とあんまり変わらない部分をたくさん持っているはずなんです。
藤森 ちゃんと造形をコントロールしていましたよ。
中沢 あれはあれで、縄文的すっきりなんだと思います。ちゃんとした造形原理が働いていて、弥生との距離は思われているほど大きくないのでは。

- 作者: 中沢新一,クロード・レヴィ=ストロース,藤森照信,河合俊雄,管啓次郎,ミシェル・セール,ブルーノ・ラトゥール,吉本隆明,河合隼雄,養老孟司,中村桂子,細野晴臣,杉浦日向子
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2014/03/20
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (5件) を見る
たとえばこういう火焔式の縄文土器も、やはり造形原理がある。ただむちゃくちゃやっているわけではなくて、四方から規則性を持った造形がなされている。
その藤森氏が縄文を意識して設計したのが、この「神長官守矢資料館」。この造形感覚は、シロウトの僕から見てもすごいものを感じる。