大澤真幸は『〈世界史〉の哲学 古代編』で次のような謎を問いかける。
特殊な歴史的コンテクストに深く規定された特異な作品や思想が、普遍的な魅力、普遍的な妥当性を帯びて現れるのはなぜなのか? (P20)
この問いそのものの本格的な謎解きは大澤真幸に委ねるとして、この謎は新規事業の立ち上げにも関連してくる。スティーブ・ブランクの顧客開発モデルでは、顧客発見というプロセスでエヴァンジェリスト・ユーザーを発見し、その特殊なユーザーが満足するような価値を発見する顧客実証という段階に至る。そしてそこで実証された商品やサービスについて、いよいよメインストリームのユーザーへと展開することになるのだけれども、ここで大きな谷、キャズムが待ち構えている。
なぜ特殊なエヴァンジェリスト・ユーザーが受け入れたものが、メインストリームのユーザーにも受け入れられるのか。なぜユダヤの王としてのイエス・キリストが、普遍的な存在になったのか。
大澤はイエスの処刑から復活にいたるまでの構造主義に立脚した分析を行っているが、もし新規事業についても同じ構造が繰り返されるとしたら、特殊性をもったサービスは一度処刑され、そこから普遍的、偏在的な存在として復活しなければならない。
問題は、その〈死〉をどのように組み込んでいくかということだ。最近の例で言えば、グノシーは当初のユーザーに支持されていたサービスを(いわば冤罪のようなかたちで)〈処刑〉し、新しく復活させたとみることもできるだろう。(普遍に至ったかどうかは別として。)