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LIFEHACK STREET 小山龍介ブログ

小山龍介公式ブログ

芸術教養演習2レポート【コミュニティ運営】越後妻有のこへび隊

「大地の芸術祭」(越後妻有アートトリエンナーレ)は、アーティストが地域に滞在し、その期間に作品を製作し設置するミュンスター彫刻プロジェクトのワーク・イン・プログレス方式に触発されて北川フラムにより始められた。ワーク・イン・プログレス方式とは、アーティストが住民と対話をし、地域の歴史や文化を踏まえて作品を制作する方法であり、地域の発展を目指して採用される手法である。ヴェネツィアビエンナーレなどの成功が地域住民の負担や犠牲のもとになりたっていた反省に立ち、地域のためになるような美術展を志向する動きが強くなってきたことが背景にある(『これからのアートマネジメント』)。

 

これからのアートマネジメント ?ソーシャル・シェア?への道 (Next Creator Book)

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 地域への貢献をうたった「大地の芸術祭」の構想は、しかし当初は地域の反対が強く、困難を極めた。北川たちは根気強く説得を続け、2000年にようやく第一回を開催、2015年の第6回を数えるまでとなった。この成功を支えたものは、アーティストの活躍、地域住民の協力もさることながら、それを支えたボランティアの存在があった。継続・発展しているのは、アーティストと地域住民、ボランティアの三位一体の取り組みがあったからにほかならない。実際、約762平方キロメートルという広大な地域を美術館に見立てて行われるこの芸術祭を支えるには、地元の力だけでは難しい。

「大地の芸術祭」を支えるボランティア組織はこへび隊と呼ばれ、都会の若者を中心に、外国人も加わった多様な人々によって構成されていた。作品の制作補佐や監視、会期中以外にも、地域づくりの活動を地道に続けており、いまや地域になくてはならない存在となった。たとえば管理しきれなくなった棚田の運営を引き受け、棚田バンクを設立、お米を生産し販売するまでに、地域の人々の信頼を得ている。

 アーティストと地域住民だけであれば、ここまでの展開はありえなかっただろう。ワーク・イン・プログレス方式において、たしかに作品は地域に残るが、アーティストが地域住民と深く関わるのは基本的にその製作期間だけである。短期的なイベントにはなりえたとしても、長期的なドラマへと展開することは難しい。

 ラトビアの芸術家アイガルス・ビクシェは、小谷集落の一軒一軒に対して、ほしい家具を聞いて製作、各家庭にプレゼントした。プライベート空間で実際に使われているテレビ台や本棚、タンスなどの家具を外部の人に公開することは難しく、制作された2006年当初は家具とともに撮影された家族写真が展示されるにとどまった。しかし、こへび隊が集落の雪かきを手伝ったり、農作業を手伝ったりする中で地域の人たちも徐々に心開いていき、いくつかの家では、実際に使っている家具を訪れた人たちに公開してくれるようになった。集落が外部に開かれていったのである。芸術によって人々の関心がこの集落に向けられたこともそうだが、こへび隊との信頼関係があってこその変化だといえる。

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www.echigo-tsumari.jp

 この「開かれ」はなににどのように起こったものなのだろうか。ここにこへび隊にまつわるコミュニティ運営が継続し続けられている秘密があり、また今後伸長させていくヒントがあると考える。ここでは3つのポイントにまとめてみたい。

 まずひとつは、関わりによる地域の変化である。ボランティア組織において、報酬はお金では当然ない。時間を費やす中で、自分の関わりによって確かに状況が良くなったという実感こそが、報酬である。同じボランティアであっても状況が改善しないなかで続けられる活動は、なかなか継続しない。こへび隊が関わることによって、地域の人たちが変わり、地域が変わっていく。アートの力だけでなく、こへび隊の持続的な活動があったからこそであるという実感が、彼らの活動への強い動機付けとなっている。

 その点で、このボランティア活動は業務ではなく、自己表現となっている。表現活動の根底には、他者へのはたらきかけがある。アートを、他者の感性を揺さぶり、世界に対する認識を変えるものだとすれば、こへび隊によるボランティア活動もまた、アート表現であり、アート活動なのである。こへび隊の隊員は、アートに関わりながら、みずからアートな自己表現をしている。

 このアート表現は、極めて即興性の強いものになっている点にも注目したい。たしかに事前にアーティストによる設計図が用意されることもあるが、ワーク・イン・プログレス方式ではその設計図は地域住民との関わりの中でどんどんと変更されていく即興性をはらんでいる。それと同時に、こへび隊の地域住民との関わりもまた、事前に計画したものではありえず、即興的なものになる。この即興性を生んでいる原因のひとつは地域の自然である。想定しない大雪や、新潟県中越地震は、地域だけでは解決できない問題を引き起こし、その解決にかかわることによってこへび隊が地域へ深く降り立つ大きな契機となった。多くの集落が孤立する中で、こへび隊の活動は臨機応変なものでなくてはならなかった。言われたことをやるというだけではなく、そうした事態にどのように関わるのかという主体が問われるタイミングがいくども訪れたことは想像に難くない。

 ふたつめは、こへび隊メンバーの成長の機会となっていることがあげられるだろう。こへび隊の活動において必要な知識の共有、伝達によって、メンバーは日々成長を遂げていく。その成長の実感は、大きなモチベーションとなっているだろう。

 この知識は、いわゆる教科書で学ぶような情報としての知識ではなく、行為の中に即した知恵と呼ぶべきものだろう。豪雪地帯でもある越後妻有の暮らしには、さまざまな知恵が隠されている。芸術祭運営はもちろんのこと、地域の暮らしの知恵を学ぶことによる自分自身の変化は、地域に根ざした存在としての自己を生成、発見するプロセスとも言えるかもしれない。金銭による等価交換で成り立っている都市生活の中では、ほとんどのことがお金で解決される。しかし集落ではお金だけでは解決しえない問題がある。お金で豪雪を減らすことはできない。そこでは知恵と工夫で乗り越えるしかない領域が多く残されている。

 この領域で起こっているのは、交換経済ではなく、助けあいによる贈与経済である。そしてそこでは、その場限りの等価交換ではなく長い時間を書けた贈与の循環が行われていると見ていいだろう。東大名誉教授で場の研究所所長である清水博は、名前を残さない無私の贈与を与贈と呼び、場における与贈循環の仕組みを提示した。清水は、こうした与贈は個人に宛てて送られるのではなく、〈場〉に向かっており、その返礼は個人からではなく〈場〉から〈居場所〉として戻ってくるのだと指摘した。

 

<いのち>の普遍学

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 こへび隊メンバーの学ぶ知恵とは、究極にはこの居場所づくりの知恵である。ひとつは厳しい自然環境の中で、自然と人工の縁側的な空間である里山を作り出し、自然と共に生きていく知恵。そしてふたつめには、そこで人々と協力しあい人と共に生きていく知恵。都市では失われてしまっているこのふたつの知恵に触れることが、こへび隊のモチベーションとなっているだろうと考える。

 こへび隊というボランティア組織が継続している要素として最後に触れておきたいのが、観客の存在である。彼らの活動は地域とアーティストに閉じているものではなく、それは大きくは三年に一度の「大地の芸術祭」というトリエンナーレという場で、多くの観客へと開かれている。そこでのおもてなしは彼らの大きな仕事であり、また別の視点からの評価を受ける場面であるといえる。いくら地域住民とアーティストに評価されたとしても、観客の評価を失ってしまえば元の木阿弥である。彼らの凛とした表情は、観客の視線にさらされることによって生まれている。

 そして重要なことは、観客が将来のこへび隊予備軍となっていることだろう。多くのこへび隊メンバーが、当初は観客としてこの地を訪れ、その忘れがたい経験からこへび隊に参加するようになる。アートだけでなく前述のような知恵を、たとえば里山の美しい棚田から感じ、心奪われる。そしてそこによりそうこへび隊のありかたに、心惹かれるのである。こへび隊にはそうした意識はほとんどないが、芸術祭そのものが未来のこへび隊メンバーを募る機会として機能しており、こへび隊のメンバーが〈場〉に与贈すればするほど、その与贈に関わる新しいメンバーを呼びこむ循環が生まれているのだと考えられる。

 こうして新しいメンバーの参入による新陳代謝は、活動をさらに活発化させていくと同時に、多様化させていく。その中でも軸をぶらさずに継続できているのは、アーティスト、地域住民に加え、観客の視点があるからこそだと言えるだろう。